カテゴリ: └ 清盛のあらすじ( 52 )

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by cmailjp | 2012-12-23 21:56 |  └ 清盛のあらすじ

最終回(第50回)あらすじ

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最終回 2012.12.23放送予定
「遊びをせんとや生まれけむ」


1181年1月、清盛(松山ケンイチ)は熱病で死の淵にいた。源氏との決戦に勝利し、頼朝(岡田将生)の首を墓前に供えよと叫び、清盛は世を去る。4年後、一門の運命は坂をころがるように変転し、安徳(貞光奏風)を抱いた時子(深田恭子)は「海の底にも都はある」と壇ノ浦に入水、盛国(上川隆也)は捕虜となり鎌倉で息絶える。そして頼朝は義経(神木隆之介)を追討し、幕府を開く。ある日、頼朝のもとを西行(藤木直人)が訪ねてくる。頼朝は西行を通じ、亡き清盛の霊と対面を果たす。

物語

突然の熱病に倒れた清盛(松山ケンイチ)は生き霊となって、遠く伊勢・二見浦にいる西行(藤木直人)の目の前に姿を現す。はじめはひどく驚く西行だったが、話を聞くうちに事態を理解し、清盛の霊に死期が近いことを説く。京では高熱にうなされている清盛を、平家一門が祈るように見守っていたが、手の施しようもなかった。
一方、後白河法皇(松田翔太)は清盛危篤の報に接し、思いつめたように今様を歌い、踊り続ける。
「♪遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけん♪」
生に執着する清盛の様子を見かねた西行は、思いやりあふれる言葉で諭す。そして西行の言葉でようやく自分の寿命を受け入れた清盛は一門の前でむくっと立ち上がり、「―きっと、わが墓前に、頼朝が首を供えよ!」と言い遺し、1181年の春、絶命する。64年の生涯だった。
西行は京の平家一門を訪れ、清盛の遺言を伝える。二見浦の庵で清盛と交わした最後の会話がみんなへの遺言だったのだ。西行の姿はいつしか清盛そのものとなり、それぞれに遺言が伝えられた。
その後も、平家は一連托生の強い絆のもとにそれぞれ戦った。源氏軍の侵攻により、都落ちを余儀なくされたのは1183年。この都落ちはそれぞれの行く末に多大は影響をもたらした。頼盛(西島隆弘)は清盛の遺言を受けて、平家の血を守ろうと考え鎌倉の頼朝(岡田将生)を頼った。侍大将の忠清(藤本隆宏)は伊勢で戦ったが捕縛され、斬首となった。その後、態勢を立て直した平家だが、一の谷で重衡(辻本祐樹)は捕らえられて斬首となり、逃亡した維盛(井之脇海)は後に入水して果てた。
壇ノ浦でも多くものが西海に散った。総大将の知盛(小柳友)は勇猛果敢に戦い、最後は錨を体に巻きつけて海に沈み、宗盛(石黒英雄)は死にきれずに海でもがいているところを捕縛され、のちに斬首された。徳子(二階堂ふみ)は捕らえられ、のちに出家して建礼門院となり、一門の菩提を弔う生涯を送った。時忠(森田剛)は配流された能登国で生涯を終えた。そして時子(深田恭子)は安徳天皇(田中悠太)を抱き、「海の底にも都はござりましょう」と言って海に身を投じた。鎌倉のとある館では捕縛された盛国(上川隆也)の姿があった。盛国はひと言も発せず、飲食を断ち、餓死による自害を選んだ。亡くなった盛国を弔う琵琶法師はかつて禿の長として京を震撼させた羅刹(吉武怜朗)だった。
平家を滅ぼした頼朝が、次に退けねばならなかったのは、弟・義経(神木隆之介)だった。身内同士で殺し合う苦しみをよく知る頼朝は、幾度もしゅん巡するが、最後には弟の追討を決意する。
1186年、頼朝のもとへ西行が訪ねてきた。西行は頼朝にも清盛の遺言を伝える。「まことの武士とはいかなるものか見せてみよ」という言葉をうけ、頼朝は自分の進むべき道を定めた。
1189年、奥州藤原氏を頼ろうとした義経は衣川で兵に襲われ、孤軍奮闘するも、弁慶(青木崇高)は多数の矢を受け立ち往生し、義経は自害して果てた。
1190年、頼朝は上京し、後白河法皇と対面した。後白河法皇は老いを感じさせるうつろな目で頼朝を迎えた。その一年後、後白河法皇は亡くなり、頼朝もその7年後に死んだ。そして頼朝が開いた幕府が滅んだ後の足利の世となって清盛が目指した国と国との交易が行われるようになった。

そして、海の中を落ちていく宋剣がある。その剣をつかんだのは、若き日の清盛だった。清盛は兎丸(加藤浩次)の声に導かれ、海の中にある館に入っていった。すると清盛の前に平家一門が笑顔で待っていた。「海の底にも都はありまする」、時子の声に振り向いた清盛は、夢中で遊ぶ子どものような笑みをたたえていた。


<完>

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by cmailjp | 2012-12-16 20:59 |  └ 清盛のあらすじ

第49回あらすじ

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第49回 2012.12.16放送予定
「双六が終わるとき」


1181年、平家は憂うつな年明けを迎える。反平家の風潮が、国中にいきわたる中、清盛(松山ケンイチ)の頼みの綱だった高倉上皇(千葉雄大)がわずか21歳で世を去ってしまう。朝廷でのよりどころを失った清盛の前に、再び後白河法皇(松田翔太)が現れ、力を失いつつある清盛を挑発する。一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちが集まる。頼朝は彼らを御家人と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。頼朝の国づくりを西行(藤木直人)から伝え聞いた清盛は、亡き義朝と誓い合った武士の世を、頼朝もまた引き継ごうとしていることを知り、闘志を燃やす。後白河法皇と対面した清盛は、これより先は、朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世になると語り、双六勝負はこれで最後だと告げる。そして、源氏討伐の準備を整える中、清盛は突然の熱病で意識を失う。

物語

清盛(松山ケンイチ)の五男・重衡(辻本祐樹)が南都(現在の奈良)を焼き打ちにしたことにより、天下の人心はもはや平家からまったく離れていた。各地で謀反が相次ぎ、平家は次第に四面楚歌となっていく。さらに不幸なことに、病床にふしていた高倉上皇(千葉雄大)が世を去ってしまう。高倉上皇は最期まで后である徳子(二階堂ふみ)の行く末を案じながら、21歳の若さでの崩御だった。
高倉上皇の崩御は、上皇の父・後白河法皇(松田翔太)の院政が、約1年半ぶりに復活することを意味していた。鳥羽離宮での幽閉を解かれ、久方ぶりに清盛と対面した後白河法皇は、清盛がおこしたクーデター、「治承三年の政変」も自分のシナリオどおりだったことをにおわせ、清盛をがく然とさせる。平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだとぞっとする。
清盛は、高倉上皇をなくしたばかりの娘・徳子のもとへ時子(深田恭子)を行かせ、法皇の後宮に入るよう説得させる。しかし、徳子はかたくなに拒否。それでもあきらめず、「また別の手を打つ」という清盛を、時子はやさしくとりなし、励ますのだった。
一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちが集まる。頼朝は彼らを御家人(ごけにん)と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。
京の上西門院統子(愛原実花)の館では高倉上皇をしのぶ歌会が催された。上西門院は後白河法皇の姉であり、高倉上皇は甥にあたる。その歌会には西行(藤木直人)の姿もあった。西行は戦乱で多数の人が亡くなったことを詠み、それこそが高倉上皇の心労のもとであったことを嘆いた。そして歌会の後、かつて待賢門院に仕えていた堀河局(りょう)と、久方ぶりに再会する。昔は恋の歌をかわした二人だった。世の行く末を嘆く堀河局に西行は今宵を楽しもうと誘う。
ある日、西行は清盛をたずね、鎌倉での頼朝の町づくりを語った。頼朝は源氏の守り神である鶴岡八幡宮の参道沿いを中心に、次々と住いや道が整えられ、そこに御家人たちを住まわせ、新しい仕組みのもと統率していた。そのことを聞いた清盛は、貴族の世が終わりを告げ、武士が覇を争う世が到来したことを実感。ある決意をもとに後白河法皇をたずね、双六の勝負を申し込む。負けた者が勝った者の願いを聞き届けるという約束ごとで。双六をしながら二人はこれまでのお互いを振り返った。若き日から二人はまさに双六のようにお互いが賽をふりながら数々の勝負を続けてきたのだ。そして今宵の一戦で勝ちをおさめ清盛は、勝者として望みを語った。それは後白河法皇との双六勝負はこれで最後にしたいということだった。「これより先は、すでに朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世である。武士はもう王家の犬ではない」と告げると、後白河法皇は寂しげな表情で現実をうけとめた。
その後、清盛は頼朝への闘志を燃やし、源氏討伐の準備を整えていた。そんな折、清盛は突然の熱病に倒れ、危篤状態に陥る。同じ頃、伊勢にある西行の庵にある男が訪ねてきていた。それは清盛の生霊だった。

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by cmailjp | 2012-12-09 21:52 |  └ 清盛のあらすじ

第48回あらすじ

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第48回 2012.12.9放送予定
「幻の都」


富士川の戦いで大敗した平清盛(松山ケンイチ)。平家はすでに武門ではないという忠清(藤本隆宏)の言葉は、清盛の心に強く刻まれる。さらに高倉上皇(千葉雄大)が危篤となり、棟梁の宗盛(石黒英雄)は劣勢を挽回するため、都を京に戻すべきだと涙ながらに訴える。清盛は悩んだ末、夢の都・福原を離れるという苦渋の決断をする。一方、源頼朝(岡田将生)は東国を平定し、鎌倉で新たな国づくりを始めていた。ある日、頼朝は弁慶(青木崇高)から若き日の清盛を聞かされる。祇園闘乱事件で神輿に矢を放ち、武士の世の到来を世間に印象づけた清盛。頼朝はその話を知り、今やその志を受け継ぐのは自分の役目だと自覚する。京で巻き返しをはかる清盛のもとに、知らせが届く。南都(奈良)・興福寺を攻めた平家軍が、あやまって東大寺の大仏を炎上させてしまった!

物語

富士川の戦いで平家軍は大敗した。平家はすでに武門ではないという忠清(藤本隆宏)の言葉は、清盛(松山ケンイチ)や一門の心に強く刻まれた。ぼう然と部屋にたたずむ清盛に盛国(上川隆也)は声もかけられない。そして介錯を願う忠清に、盛国は平家の危機である今、忠清がいかに重要かを説き、思いとどまらせた。
一方、富士川の戦いから無事帰還し、鎌倉に入った源頼朝(岡田将生)は、戦で手柄を立てた者に領地を与えるなどして、着々と東国武士を配下につけていた。
すでに、各地で源氏が蜂起。寺社勢力にも謀反の兆しが見えていた。福原では病に倒れた高倉上皇(千葉雄大)が快方に向かう様子がなく、清盛が見舞いに訪れると、徳子(二階堂ふみ)が高倉上皇の心労を告げ、上皇の病の理由が遷都にあるのではと訴えた。
公卿たちも不安にかられていた。藤原兼実(相島一之)は、都を京に戻すべきと強く主張。ほかの公卿たちも重盛存命の折は秩序が保たれていたと愚痴を言いだす始末。それを平家の棟梁・宗盛(石黒英雄)は黙って耐えながら聞いていた。
後日、宗盛は一門を集め、清盛に還都を申し出る。当然のごとく拒否する清盛だったが、いつになく宗盛も一歩も引かない。そして、ふがいない自らの半生を省みながら、自分の役目は、今父上をお諫めすることだと涙ながらに訴える。さすがの清盛も返す言葉がなく、ついに京への還都を決めるのだった。
幼き安徳天皇のために清盛が建てた福原の新内裏では、五節の舞が安徳天皇に献上された。華やかな宴の中、さまざまな思いを胸にひとり涙する清盛。本拠として10年あまりを過ごした福原を、ついに清盛は後にする。清盛が夢みた福原の都はわずか半年で幻となった。
六波羅で各地の反乱への対応を自ら指図していた清盛は、ある日自分がしてきたことや武士の世とは何だったのかを思い返していた。一方、鎌倉では頼朝も清盛が目指した武士の世とは何だったのかをはかりかねていた。
そんな頼朝と政子(杏)のもとへ義経(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)が訪ねてきた。義経は頼朝に今回の挙兵の理由を尋ねると、頼朝は父・義朝(玉木宏)の武勇を知らしめるためだと答えた。そして義朝と清盛が切磋琢磨(せっさたくま)してきたいきさつを語り、敗れてしまった父に代わり、力で平家を倒して真の武士の世をつくるという決意を打ち明けた。それを聞いた弁慶は激しく同意した。弁慶は源氏と少なからぬ因縁があり、義朝や清盛の若き日を知っていたのだ。そして清盛が若き日、故意に神輿に向けて矢を射た祇園闘乱事件の真相を語ると一同は驚がく。そして、清盛のすさまじい生きざまを知り、その志を理解した頼朝は、自らの進むべき道を改めて定めるのだった。
そのころ、大事件が起こっていた。南都(今の奈良県)の僧兵の反乱を鎮圧するために向かった清盛の五男・重衡(辻本祐樹)が、あやまって東大寺の大仏を含めた南都の寺たちを炎上させてしまったのだ。
平家一門が緊張した面持ちで集まり、清盛も「天は平家を見放した」と気弱な発言をした。そこへ鎧兜姿で帰ってきた重衡は悪びれもせず自分の戦果を語った。事態の深刻さと屈託のない重衡の笑顔に清盛は困惑しつつ、「重衡。ようやった」とほほ笑んだ。
だが、この南都焼き討ちの代償はあまりにも大きかった。

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by cmailjp | 2012-12-02 21:37 |  └ 清盛のあらすじ

第47回あらすじ

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第47回 2012.12.2放送予定
「宿命の敗北」


1180年、頼朝(岡田将生)の挙兵を知った清盛(松山ケンイチ)は、高倉上皇(千葉雄大)の名のもとに孫の維盛(井之脇海)を総大将として追討軍を派遣。一方、頼朝は石橋山の合戦で苦渋を味わうものの、各地で次々と反平家の武士たちが立ち上がる。数万に膨れ上がる源氏軍は西へ兵を進め、10月20日源平両軍は駿河富士川を挟んで対じする。しかし敵軍を目にしておじけづく平家軍は、戦闘前に総崩れとなる。あまりの大敗に激怒する清盛だが、家臣の伊藤忠清(藤本隆宏)から殿自身が武士の魂を忘れていると痛烈な批判を浴びる。圧倒的勝利を手にした頼朝は弟・義経(神木隆之介)とついに対面を果たす。

物語

1180年、源頼朝(岡田将生)が打倒平家を掲げて挙兵。武士の心を取り戻した清盛(松山ケンイチ)は、すぐに孫の維盛(井之脇海)を総大将、忠清(藤本隆宏)を軍師に任命し、頼朝追討を命じる。
頼朝たちは石橋山に陣を構えて援軍を待っていたが、平家の追討軍である大庭景親(木下政治)と伊東祐親(峰竜太)から攻撃を受け大敗を喫する。逃亡した頼朝たちは洞窟に身をひそめ、隠れていると、敵方の武将・梶原景時(浜田学)はあえて頼朝たちを見逃し、九死に一生を得る。
頼朝挙兵の知らせは奥州平泉の義経(神木隆之介)へも届いた。義経は義兄・頼朝のもとへはせ参じたいと藤原秀衡(京本政樹)に願い出るが、その身を案ずる秀衡は猛反対。そのとき、弁慶(青木崇高)が自身の頭上の的を射よと義経に命じ、自分たちの運と度胸を試してみよと言いだす。そして義経は見事に的を射ぬき、ついに秀衡が折れることになった。
各地でも次々に源氏武士が決起。平家一門も追討の準備をすすめ、福原の清盛の前に集まった。清盛は戦のかたわら福原の内裏建築も進めていたが、一門の誰もが、未だ遷都に疑問を感じていた。しかし、清盛は国づくりを成し遂げることこそが真の勝利だと言い放つ。
下総(今の千葉県)で態勢を立て直していた頼朝のもとへ、二千騎という大軍を率いた上総広常(高杉亘)が参じた。しかし頼朝を侮るような高飛車な態度の広常に、頼朝は去るよう命じる。その毅然とした態度に広常は感服し、こうして頼朝は東国の名だたる武士たちの心を捉えていった。そして父・義朝(玉木宏)の悲願であった武士の世をつくるため、義朝が居をかまえた鎌倉を源氏の本拠地とし、平家軍に備えよと一同に話す。
京の六波羅では平家軍の総大将・維盛と忠清が出陣をめぐって口論していた。日柄が悪いため出陣を延期しようとする忠清を押し切り、維盛は強引に出陣をした。
鎌倉に入った頼朝のもとを政子(杏)が訪ねてくる。すると平家軍が駿河へ入ったという報が届き、くつろぐ暇もなく頼朝は出陣を命じる。
富士川をはさんで頼朝の源氏軍と維盛の平家軍が対峙した。甲斐源氏の二千騎と合流し、数を増した源氏軍とは対照的に、平家軍は兵糧不足に悩み、四千騎の大軍が半分に減っていた。また平家軍に合流するはずの軍勢たちは源氏に阻まれていた。追いつめられた維盛は兵の士気をあげるため、遊女を連れてこいと命じる。
一方、清盛は内裏の速やかな完成を祈願するために、厳島神社を訪れていた。戦況を心配する佐伯景弘(温水洋一)に清盛は、自分は父の悲願である武士の世をつくらねばならないと告げる。そして福原に内裏をつくり、自分の血を引く帝をたてて政をおこなうことを、友である義朝の子に見せてやるという思いを語った。
一方、富士川では酒宴に興じていた平家軍は、水鳥が飛び立つ音を敵襲と間違え慌てふためき、総崩れとなってしまう。圧倒的勝利を手にした頼朝は逆に平家のあまりの弱さに失望するものの、清盛と対峙すべく京に兵を進めるように命ずる。だが、時政(遠藤憲一)たち重臣から、鎌倉に戻り、足元を固めることが先決であると進言を受け、聞き入れる。そこへ義経が奥州から参上、頼朝は運命の対面を果たす。
六波羅に逃げ帰った維盛と忠清の前に現れた清盛は激怒した。維盛を殴りつける清盛に、忠清は自らの死をもって責任をとりたいと言う。そして首をはねられる覚悟で忠清は、「平家はもはや武門ではござりませぬ。殿ご自身が、もはや武士ではありませぬ」と痛烈に清盛を批判する。忠清の言葉に衝撃をうける一門と清盛。激情にかられた清盛は宋剣で忠清を斬ろうとするが、剣の重さに振り回され尻餅をついてしまう。一門が絶句して見つめる中、清盛の心の中には父・忠盛(中井貴一)のある言葉がよみがえっていた。「おのれにとって生きるとは何かを見つけたとき、心の軸ができる。心の軸が体を支え、心を支えるのだ」清盛は今、心の軸を失っていた。

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by cmailjp | 2012-11-25 22:10 |  └ 清盛のあらすじ

第46回あらすじ

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第46回 2012.11.25放送予定
「頼朝挙兵」


1180年、以仁王(柿澤勇人)の令旨(りょうじ)を知った平清盛(松山ケンイチ)は激怒し、以仁王、源頼政(宇梶剛士)らを捕らえ、鎮圧する。そして清盛は、安徳天皇のための都として、福原への遷都を強行する。8月、以仁王と頼政に刺激された東国武士たちの思いを受け、打倒平家を掲げ、源頼朝(岡田将生)が兵を挙げる。清盛は頼朝のことを知り、動揺・不安・怒りなどさまざまな思いがこみ上げてくる。そして「ついに頂に立った自分や平家と頼朝や源氏の武士が頂点をめぐって戦うときがやってきた」とぞくぞくする。保元・平治の乱から数十年、60歳を越えた清盛の体に流れる武士の血が、久方ぶりに騒ぎ始めたのだ。9月、清盛は頼朝を討てと全国の武士に命令。伊豆の頼朝はひるまず清盛軍との戦いに向かう。

物語

不遇の皇子・以仁王(もちひとおう・柿澤勇人)が諸国の源氏に宛てた平家打倒の令旨が、伊豆の源頼朝(岡田将生)にも届いた。頼朝は源氏が再び立ち上がり、平家を攻めるときが迫っていると感じつつも、戸惑いを隠せない。そんな中、使者の源行家(江良潤)は、この挙兵には頼政(宇梶剛士)も参じていると伝える。時政(遠藤憲一)らに鼓舞され、頼朝はついに戦支度を始める。
そのころ清盛(松山ケンイチ)は、福原の新都建設計画に没頭していた。そのかたわらにはいつも、仏御前(木村多江)がいた。それまでちょう愛をうけていた祇王(尾上紫)と祇女(花影アリス)はすっかり取り残されていた。その姿を見ていた亡き兎丸の子・小兎丸(高杉真宙)は、清盛の目指す国づくりに疑念を抱く。
5月、以仁王の館にいた源頼政(宇梶剛士)は、上洛した清盛から呼び出される。よもやたくらみが露見したかとおののく頼政に、清盛は楽しげに福原遷都の計画を聞かせる。そして、亡き源義朝(玉木宏)とともに目指した武士の世をつくるため、協力を請うのだった。
その後、清盛は体調を崩した息子・知盛(小柳友)を見舞う。病床に伏していた知盛は、近ごろ馬が駆け回る音がよく聞こえると告げる。そのひと言が発端となり、清盛は以仁王のたくらみを知ることになる。露見したことを知った以仁王はすぐさま園城寺に難を避け、頼政もあとを追った。頼政までが以仁王側についたことを知った清盛は激怒する。平家側の厳しい追討から逃れ続け疲労困ぱいする以仁王と頼政。頼政は宇治川で奮戦するが敗走。やがて頼政は自害、以仁王も討ち死にし、全国に拡大する前に以仁王の乱はあっけなく終わった。
頼朝は神妙な面持ちでその知らせを聞きながら、己の初陣・平治の乱のことを生々しく思い出していた。そして、心の中で何かが騒ぐのを感じるのだった。
乱が鎮まった後、清盛は遷都計画をさらに急ぐ。誰もが反対するなか、内裏が出来上がらぬうちに遷都を強行。安徳天皇や高倉上皇(千葉雄大)、徳子(二階堂ふみ)らは福原にうつった。本当に遷都する必要があったのかと疑問をぶつける高倉上皇に、清盛はすべてを任せるよう諭す。
評判の悪い遷都のうわさは伊豆にも届いた。頼朝は東国武士たちの不満の声が高まっていることも聞き、清盛の目指した武士の世とは何なのかと、ふつふつと疑念がわきあがってくる。
福原の清盛を西行(藤木直人)が訪れると、清盛は仏御前のために祇王と祇女を踊らせる座興を行った。そのむごい仕打ちを見た西行は、昔の清盛や義朝と将来を語り合った思い出を話し、おもしろき世をつくりたいと願った清盛の世とはこれかと問い詰める。そこへ頼盛(西島隆弘)が急報として、高倉上皇の政治を摂政・基通に託したいという願いと、都を京へ戻したいという声が高まっていることを告げた。逆上し自分を見失った清盛はすべてを自分の思いどおりにするのだとわめき散らし、恐怖からその場を逃げ出そうとする仏御前を、射殺させようとする。それはかつて清盛の母(吹石一恵)が殺された姿に重なる光景だった。清盛はうなされたように自分が暗闇の中にいることを告げて助けを求めた。さらにそこへ、忠清(藤本隆宏)が頼朝の挙兵を知らせにとびこんできた。清盛は自らの剣を握りしめ、武士らしい闘志を込めた表情に一変した。頼朝の挙兵こそ、清盛が暗闇を抜け出すきっかけになったのである。清盛の体に流れる武士の血が、久方ぶりに騒ぎ始めていた。

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by cmailjp | 2012-11-18 21:27 |  └ 清盛のあらすじ

第45回あらすじ

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第45回 2012.11.18放送予定
「以仁王の令旨」


後白河法皇(松田翔太)を鳥羽離宮に幽閉し、清盛(松山ケンイチ)はついに武士として初めて天下の頂に君臨する。清盛は福原にいながら朝廷の人事権を掌握し、高倉天皇(千葉雄大)に安徳天皇への譲位を迫るなど、思いのままの政治を展開していた。一方、不遇をかこっていた後白河法皇の子・以仁王(もちひとおう:柿澤勇人)は、源頼政(宇梶剛士)に接近し、武力決起による平家討伐を考え始めていた。伊豆でも、高い租税に困る東国武士たちは、徐々に平家への不満をあらわにしつつあった。そして義経(神木隆之介)は弁慶(青木崇高)とともに奥州藤原氏を頼り、力を蓄えつつあった。頂にたち、孤独の中で我を失い始めた清盛をよそに、各地で反平家の火がくすぶり始めていた。

物語

後白河法皇(松田翔太)を鳥羽離宮に幽閉し、清盛(松山ケンイチ)は武士として初めて天下の頂に君臨する。清盛は福原にいながら朝廷の人事権を掌握し、1180年、高倉天皇(千葉雄大)に譲位を迫り、孫の東宮・言仁を即位させようとする。
一方、今回の政変で長年の所領を奪われてしまったのは、後白河法皇の子・以仁王(もちひとおう・柿澤勇人)。ふさぎ込む彼の様子を見かねた猶母の八条院暲子(あきこ・佐藤仁美)は、源頼政(宇梶剛士)を呼びだし、武力決起して平家討伐をせよとたきつける。しかし老いた頼政は、平家に逆らうなど愚の骨頂と言って断る。
東宮・言仁の即位に際し、朝廷で何かと物入りになると、伊豆には早速増税の命が下る。国のためのはずの租税が、平家のためにばかり使われている現実に、北条時政(遠藤憲一)は、いよいよ平家への不満が爆発するときがくると源頼朝(岡田将生)に示唆した。頼朝には徐々に武士としての心構えがよみがえりつつあった。
そのころ、義経(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)は奥州平泉で藤原秀衡(京本政樹)のもとにいた。秀衡は、近頃の清盛の動きを警戒し、もし今後平家が平泉に押し寄せることがあれば、平泉の武力と財力を好きに使って応戦するがよいと、義経に言い含める。
各地で反平家の動きがさかんになる中、言仁が正式に即位して安徳天皇となった。清盛は慣例をやぶり、新院となった高倉上皇の嚴島神社への参詣計画を進める。しかし、寺社勢力は猛反発。日頃は仲悪しき寺同士も手を組み、結束を強めていく。
重盛が亡き後、平家の棟梁となったのは清盛の三男・宗盛(石黒英雄)だったが、この事態に狼狽し、弟の知盛(小柳友)や重衡(辻本祐樹)に対処を任せるのみだった。結局、平家の武力を恐れた寺社勢力は兵を挙げることはなかったが、高倉上皇の嚴島参詣は遅れ、清盛の不満は募った。清盛は、新しき帝が誕生するとともに福原へ遷都することを画策するが、思うように進まないことにいらだっていた。そこへ美しい白拍子の姉妹・祇王(尾上紫)と祇女(花影アリス)が目通りを願い、優美な舞を披露した。清盛は現実逃避するかのように祇王にひきつけられた。
京では宗盛が宴三昧の日々を送っていた。母・時子(深田恭子)は叱るが、宗盛は兄・重盛の冥福を祈る宴だといい時子をあきれさせる。また、源頼政の子・仲綱(須田那裕)の愛馬を奪ったうえ、馬の名を仲綱と呼んで辱めた。仲綱は頼政に怒りをぶつけるが、頼政はこらえるよう諭す。しかし頼政も心の葛藤が強くなっていた。
そして、以仁王と八条院暲子のもとへ、反平家への決意を固めた頼政と仲綱が訪れた。そこで八条院は源義朝の弟・源行家(江良潤)を引き合わせた。行家は平治の乱に敗れた後、熊野で身をひそめていたと言う。八条院はこのように諸国に潜む源氏に向けて、平家打倒の令旨をだすよう以仁王に迫った。そして、不当に権勢をふるう平家を追討せよという以仁王の令旨は、行家の手により伊豆の頼朝に届けられた。驚きながら令旨を読みあげる頼朝を時政や政子(杏)が見つめていた。再び源氏が立ち上がる時が迫っていた。
4月、内裏では安徳天皇の即位の儀が行われた。福原で浮かれて舞い踊る清盛の前に新たな白拍子があらわれた。その白拍子(木村多江)の美しさに清盛はたちまち虜になり、祇王らを置き去りにして彼女を抱きかかえて連れて行った。寝所で清盛は「仏」と名乗るその女性に向かい福原への遷都の夢を語り、「ここはわしの世じゃ」と告げる。清盛はたったひとりで暗闇の中にいた。

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by cmailjp | 2012-11-11 21:48 |  └ 清盛のあらすじ

第44回あらすじ

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第44回 2012.11.11放送予定
「そこからの眺め」


後白河法皇(松田翔太)と清盛(松山ケンイチ)のはざまで、心労を重ねていた嫡男・重盛(窪田正孝)は病の床に伏す。そして清盛の娘で摂関家に嫁いでいた盛子が病死。平家に暗雲がたちこめる。清盛が厳島参詣で都を離れているすきに、後白河法皇は関白・基房(細川茂樹)と手を組み、盛子の所領を没収、重盛にも魔の手をのばす。一方、平家では重盛の代わりを誰にするか論議になっていた。時忠(森田剛)は時子(深田恭子)の息子・宗盛(石黒英雄)を推すが、反対する者も多く一門は分裂の危機を迎える。そんな中、後白河法皇は重盛を見舞い、無理難題を押しつけ苦しめる。そこに現れた清盛は怒り法皇をどう喝するが、重盛はすでに死の淵にいた。

物語

1179年、伊豆の源頼朝(岡田将生)は妻・政子(杏)と前年生まれた娘とともに幸福な日々を過ごしていた。東国武士たちは、頼朝の義父となることは清盛(松山ケンイチ)の怒りにふれるのではと北条時政(遠藤憲一)を心配するが、時政は平家の世は長くは続かないという予言めいたことを口にする。
平重盛(窪田正孝)はわが身をていして、父・清盛が後白河法皇(松田翔太)を幽閉する計画を阻止するが、その後心労がたたり病に伏す。一方、清盛のたくらみに感づいた後白河法皇は、平家の力をそごうと画策。藤原基房(細川茂樹)と手を組み、清盛が嚴島詣でに行くようにしむける。清盛の留守中、その娘・盛子(八木のぞみ)が病死すると、後白河法皇は彼女が管理する藤原摂関家の所領を強引に没収した。嚴島でそのことを知った清盛は怒りにかられた。
ばく大な財産を失った平家一門は、棟梁・重盛の病状を心配し、棟梁の代理を立てるべきではないかと話し合う。時忠(森田剛)は重盛の弟であり、正妻・時子(深田恭子)の子である宗盛(石黒英雄)を推すが、重盛の子・維盛(これもり:井之脇海)を推す声もあり、なかなか結論が出ない。重盛は宗盛ら弟たちや維盛ら子たちを呼び、そう遠くない自分の死後、清盛の国造りと一門の将来を支えるため力をあわせるよう諭した。
清盛を苦しめるためには、清盛の子がねらい目だと見抜いた後白河法皇は、病床の重盛を訪ねた。重盛に、清盛と自分との間を取り持ってくれたことに感謝しつつ、これからも平家との友好関係を望むなら、これに勝ってみよと重盛に無理やりに双六勝負をしかけた。息も絶え絶えに賽を振る重盛。そこに清盛が現れ、2人の勝負をやめさせ、重盛を苦しめようとする後白河法皇に怒りをぶつける。すると法皇は清盛にある思い出を語り始める。
40年も前のこと、清盛に双六勝負を挑み、勝ったら清盛の子・重盛をもらうという賭けをした。結果は幼き重盛が自ら賽を振り、良い目が出て、たまたま清盛は負けをのがれた。詰まるところ重盛は、わが身を自ら守る運命であり、母や弟に先立たれ父は修羅の道を生きるもののけ、一人で生き一人で死んでいくしかないのだと後白河法皇は語る。清盛がどう喝すると、後白河法皇は40年前と同じ笑い声を残して去っていた。衰弱した重盛はすっかり生きる力を失い、一か月後に42歳の若さで亡くなった。
悲しみにくれる平家一門に、さらに後白河法皇は追い打ちをかけた。盛子の養子・藤原基通を権中納言にするという平家の推挙が無視され、基房の子が権中納言となった。それは後白河法皇が取り上げた盛子の所領が将来的には、基房の子に奪われることを意味していた。さらに亡き重盛の所領・越前を後白河法皇が召し上げてしまう。とうとう清盛は怒りが頂点に達し、数千騎の兵を率いて上洛した。
清盛はまずは関白・基房を左遷、反平家勢力を一掃して、彼らの知行地をわがものにするという暴挙にでた。そして、後白河法皇を鳥羽離宮に幽閉。ついに清盛は治天の君を退け、武士が頂点に立つという悲願を成し遂げた。世にいう「治承三年の政変」である。
清盛は内裏に行き、娘であり高倉天皇(千葉雄大)の后である徳子(二階堂ふみ)に謁見する。妹・盛子や兄・重盛に対する後白河法皇の所業を憂いていた徳子は、清盛を激励した。その帰りに清盛は祇園女御(松田聖子)に会う。祇園女御はついに頂にのぼった清盛に、そこからの眺めはいかがかと問う。上機嫌に答える清盛に、二度と会うことはないと言い祇園女御は去った。
12月、徳子と高倉天皇の子である言仁が、清盛の西八条の別邸に行啓した。うれしくてたまらない清盛は赤子である言仁を抱きかかえ、言仁がいたずらで穴をあけてしまった障子を大切に保管せよと言いつける。幸福絶頂にいる清盛は、その穴を満足げにのぞき込みながら、祇園女御の言葉を思い出していた。「いかがにございますか、そこからの眺めは」

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by cmailjp | 2012-11-04 21:53 |  └ 清盛のあらすじ

第43回あらすじ

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第43回 2012.11.4放送予定
「忠と孝のはざまで」


清盛(松山ケンイチ)は鹿ヶ谷の陰謀を計画した西光(加藤虎ノ介)と成親(吉沢悠)を厳しく処罰する。義理の兄・成親の死に落胆する重盛(窪田正孝)は、清盛と後白河法皇(松田翔太)のはざまでさらに疲弊していく。そんな時、高倉天皇(千葉雄大)の后・徳子(二階堂ふみ)懐妊という待望の知らせが清盛のもとに入り、平家は喜びに包まれる。一方、伊豆では頼朝(岡田将生)が、北条時政(遠藤憲一)に政子(杏)との婚礼の許しを得ようとしていた。そして遮那王(神木隆之介)は平泉へ向かう途中、元服して名を義経と改め、平家打倒の機運が生まれつつあった。

物語

平家打倒の陰謀は未遂に終わり、首謀者の一人である西光(加藤虎ノ介)は、平清盛(松山ケンイチ)の命で斬首された。平家では、残る首謀者・成親(吉沢悠)をはじめ、陰謀に加わった者たちへの裁断が下されようとしていた。清盛は、成親が平治の乱でも平家に敵対したことを受け斬首に処そうとするが、重盛(窪田正孝)の必死の嘆願に根負けし、成親を流罪にとどめる。しかしわずかひと月後、成親は配流先で餓死する。
肩を落とす重盛に、成親を餓死させたとほのめかす清盛。こらえきれず重盛は、清盛の思い描く国の姿が見えないと訴えるが、清盛は黙って自分の国づくりを支えよと冷徹に突き放す。平家の嫡男でもあり、後白河法皇(松田翔太)の近臣でもある重盛はますますつらい立場に追い込まれていた。重盛は後白河法皇を慰めるべく訪ねると、法皇は西光と成親の悲惨な最期を改めて確認し、うらめしそうに笑いながら清盛の中にもののけの血がうずいていると告げる。
伊豆では、恋仲になった頼朝(岡田将生)と政子(杏)が時政(遠藤憲一)に結婚の許しを請おうとしていた。時政は激怒し反対するが、頼朝は政子とともに源氏を再興したいという志を訴え、時政の心を動かした。
一方、京で暮らす常盤(武井咲)のもとに、息子の遮那王(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)が訪れ、平家を打倒すると宣言する。そして常盤の反対を押し切り、ふたりは平泉へと向かう。その途中、遮那王は父・義朝最期の地である尾張で自ら元服の儀式を行う。そこで弁慶は常盤からあずかった名前を伝えた。こうして「義経」が誕生した。源氏の魂は着々とよみがえろうとしていたのである。
1178年6月、清盛の娘であり、高倉天皇(千葉雄大)の后である徳子(二階堂ふみ)が懐妊したという待望の知らせが福原の清盛に届いた。清盛は喜び勇んで京にはいり、平家一門に安産祈願をさせる。そして11月、願いどおり皇子が生まれた。六波羅で平家一門をあげて催された祝宴には源頼政(宇梶剛士)も招かれていた。清盛は頼政を三位に出世させたと伝えると、頼政は涙ながらに礼を述べた。その後も祝宴はつづけられ、清盛も一門も上機嫌だったが、重盛は思いつめたように清盛を見つめていた。
明けて1179年2月、清盛は緊急に一門を集め、重大な決意を伝えた。皇子の外祖父となった今、誰かがまた平家を陥れるために鹿ヶ谷の陰謀のような企てをする可能性があるため、後白河法皇を平家の館に連れてくるということだった。
そのころ、後白河法皇は病床に伏す乙前(松田聖子)を見舞っていた。乙前は後白河法皇と清盛の双六遊びの行く末が気がかりだと伝えると、法皇はまだ自分には手駒があると不敵につぶやいた。
やがて武装して法皇の御所に向かおうとする清盛や一門の前に、病に伏していた重盛があらわれた。清盛の意図を聞くと、自分は御所を守ると宣言した。清盛は自分の国づくりを子である重盛が阻もうとするのかと責め立てると、重盛は「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と叫び、もし法皇を攻め入るのならば、自分の首をはねろと泣いて訴え続けた。重盛の命がけの懇願に、清盛も折れざるを得なかった。だがこの重盛の一途な忠義、孝行こそが、後白河法皇のつけいる隙でもあった。

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by cmailjp | 2012-10-28 21:27 |  └ 清盛のあらすじ

第42回あらすじ

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第42回 2012.10.28放送予定
「鹿ヶ谷の陰謀」


京・鹿ヶ谷の山荘では、後白河法皇(松田翔太)が成親(吉沢悠)・西光(加藤虎ノ介)たちとともに平家打倒の計画を進めていた。数日後、法皇は清盛(松山ケンイチ)と盟友関係にある比叡山の明雲(腹筋善之介)を流罪、さらに平家に比叡山を攻めよと命じる。法皇の横暴な振る舞いに疑問を感じた清盛は、福原から上洛して法皇に面会を求める。そんな清盛を捕らえ、後白河法皇は一気に平家を攻め落とそうとするが、意外なところから清盛は、平家打倒の陰謀を知らされる。一方伊豆では、父・時政(遠藤憲一)の思いに従い、政子(杏)は山木家に輿入れする決意を固めた。そして嫁ぎ先に向かう途中、ふと何かを思い立った政子は雨の中、頼朝(岡田将生)の元へと向かう。

物語

1177年4月のある夜更け、京・鹿ヶ谷の山荘には、後白河法皇(松田翔太)のもと、成親(吉沢悠)や西光(加藤虎ノ介)など、平清盛(松山ケンイチ)ら平家打倒を企てる不満分子たちが集まった。そこへ招かれた摂津源氏の武士・多田行綱(野仲イサオ)は企てを知り驚くが、西光と成親の説得により平家を撃つことを決意した。
一方伊豆では、北条時政(遠藤憲一)が娘・政子(杏)を平家配下の山木兼高へ嫁入りさせることを決めた。政子は源頼朝(岡田将生)の過去を深く知ったため、捨て置けないと打ち明けると時政は政子の頬をたたき、必ず山木のもとに行けと厳命する。
京では後白河法皇らの陰謀が始まっていた。まずは、根も葉もない言いがかりをつけて、清盛と盟友関係にある比叡山の明雲(腹筋善之介)を流罪にする。怒った比叡山の山法師たちが、力ずくで明雲を奪還すると、法皇は平家に山法師たちを攻めよと命を下した。
比叡山への攻撃に平重盛(窪田正孝)は二の足を踏み、判断をゆだねられた清盛はほどなく福原から上洛した。清盛は今回の後白河法皇のやり口には裏があるのではと、いぶかっていた。
多田行綱は源氏勢を結集させようと源頼政(宇梶剛士)を訪ねて平家打倒の陰謀への協力を請う。その陰謀とは、後白河法皇を訪ねて御所にきた清盛を捕らえて人質にし、六波羅にいる平家を攻め滅ぼすというものだった。だが、頼政は断り、さらに簡単に倒せるほど平家はもろくないと忠告される。
陰謀の決行間近で緊張感がみなぎる後白河法皇の御所に、重盛の妻・経子(高橋愛)が訪ねてきた。経子は成親の妹であった。計画が露見したかと不安になる成親だが、経子は父・家成の法要の相談にきただけだった。成親は平家を引き立てていた父・家成のことを思い出し、自分が親不孝だと述懐するが、西光はただ清盛への恨みを募らせるばかりだった。

決行前日の夜、後白河法皇に翌日来るように命じられた清盛は、なぜか亡き信西(阿部サダヲ)が殺された夜のことを思い出し、心がざわめいていた。そんな清盛を多田行綱がたずね、平家打倒の計画の全貌を告白した。証拠として行綱が白い布を差しだし、これは成親に「六波羅攻めの折に掲げよ」と言われた源氏の旗だという。清盛は怒りに震えていた。
翌朝、すぐさま成親と西光は捕らえられ、後白河法皇にもそのことが知らされた。清盛の前に引き出された西光はもはやこれまでと観念したのか、清盛に罵詈(ばり)雑言を浴びせ始める。そして清盛の国づくりは志ではなく王家への復しゅうだと叫ぶと、清盛は激高して西光を蹴倒し、何度も踏みつけた。
伊豆では、父・時政の願いどおり、政子は山木家へ輿入れすることになった。そして嫁ぎ先に向かう途中、ふと何かを思い立った政子は雨の中、頼朝のもとへと向かう。そしていきなり源氏重代の太刀・髭切を取り出して頼朝に向き直り、清盛が頼朝に太刀を渡した理由は、配流先でも「武士の心をなくすな」と頼朝に伝えたかったからではと叫んだ。志なかばで死んだ父・義朝への思いを自分に託していたのだと気付く頼朝。心を動かされた頼朝は政子を抱きしめ、二人で今とは違う明日を目指す決心をする。
頼朝が明日を見つけた、そのとき、清盛は明日を見失いかけていた。怒りがおさまらない清盛は西光を洛中引き回しの上、斬首せよと命じた。後白河法皇はさびしげに側近を失う悲しさを乙前(松田聖子)にこぼすと、乙前は国のいただきを巡る壮大な双六遊びをするならば、後白河も清盛もいくつもの駒を失うのが道理だと告げた。

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by cmailjp | 2012-10-21 21:56 |  └ 清盛のあらすじ


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